そう。

 

研究論文を書いても、

たとえそれが査読を通っても、

その内容が「正しい真実」だとはならないんだな。

 

研究をしている身として、

  • これは論文に書かれているから真実だ!
  • これは査読の通った論文にあるから真実だ!
  • これはあの先生が言ったから真実だ!

はタブー視される。

 

アホだと思われる。

 

研究者としての資質を疑われる。

 

そんだけ、

これはこうだ、と言い切るのが難しいんだよ。

 

論文にして、

それが査読を通って、

多くの人の目に触れて、

やっとみんなが検証を始めて、

 

あっ、これ本当っぽいぞ!?

という空気になる。

 

論文や査読は、

正当性の通過点でしかないのだ。

 

だから、

論文でも査読が通っていても、

「あの論文だとこう言ってるが、本当か?」

が研究者のスタンス。

 

これは本当に信じてもいいか?

 

一度、こうやって検証してみよう。

 

簡単に実験してみよう。

 

あれ?

 

なんか本当っぽい結果が出たな。

 

じゃあ、

もっとコストをかけて、

ちゃんと検証を・・・

 

というのが、研究。

 

正しさを判断する、ってことなんだ。

 

 

#論文は真実ではない

#査読があっても

#研究者「正当性を自分で判断」