家庭教師として長年指導してきて感じるのは、国語で時間切れになる子は、「読む力」が足りないのではなく、「文章を保管する力」が足りないということです。
文章を読んだそばから忘れてしまうため、設問を読むたびに「もう一度本文を確認しよう」となります。そして、一つの設問で本文を2回、3回と探し回るうちに、10分、15分という時間が消えていきます。
逆に、国語が得意な子は全文を暗記しているわけではありません。覚えているのは内容ではなく、「住所」です。
「主人公の気持ちが変わった場面は後半だった。」
「筆者の結論は最後の二段落だった。」
「反対意見が書かれていたのは前半だった。」
このように、情報そのものではなく、「どこに書いてあったか」を覚えています。
だから設問を見た瞬間に、「答えはあの辺りにある」と一直線に本文へ戻ることができます。
実は、中学受験国語は記憶力の試験ではありません。検索力の試験です。
インターネットで欲しい情報を探すとき、全部のページを最初から最後まで読み返す人はいませんよね。「あの記事に書いてあったな」と見当をつけて目的の場所へ向かいます。
国語もまったく同じです。
本文を一字一句覚える必要はありません。しかし、「あの情報はこの段落」という位置情報だけは残しておく必要があります。
そのためには、普段から段落ごとに役割を意識する癖をつけることです。
「この段落は問題提起。」
「ここは具体例。」
「ここで主人公の心情が変わる。」
「最後は筆者のまとめ。」
こうしたラベルを頭の中で貼りながら読むだけで、文章は単なる文字の集まりではなく、整理された地図へと変わります。
国語で時間が足りない子は、文章を毎回「初めて見る景色」として歩いています。一方で、上位層の子は「一度歩いた街」を歩いている感覚です。
どこに何があるかがおおよそ分かっているから迷わない。だから読むスピードは同じでも、問題を解くスピードには大きな差が生まれます。
時間切れを防ぐ最大の秘訣は、読む速度を上げることではありません。文章を読み終えた瞬間に、「頭の中に地図が残っている状態」を作ることです。その力が身につくと、本文を探し回る時間が激減し、国語は驚くほど時間に余裕が生まれるようになります。

 

国語で「文章をなんども読み直して」しまうのは、文章の構造を読めてないから。

 

一文一文ではなく、

段落のカタマリの意味を読む。

 

だって、余計な文は

校正の時に消されているからね?

 

そこにある文で、

意味のない文はない。

 

そこにある文には、

なにか作者の意図があって、そこにあるのだ。

 

だから、

その文がそこにある意味

を読めなくちゃいけない。

 

その文で作者はなにがしたいのか?

 

例示か。

比喩か。

結論か。

 

その文章の「カタマリ」には、

その段落には、

どんな意味があるのか。(なぜ書いてあるのか)

 

それは、

筆者が言いたいこと、そのものか。

 

それとも、反対の意見を出して、

比較しているのか。

 

それとも、

筆者がいいたいことの具体例か。

 

あるいは、筆者がいいたいことの

理屈付けをしている段落なのか。

 

さあ、

筆者はどういう意図で、その文を、

その段落を置いているのか。

 

いいか。

 

その文の役割は?

その文の「カタマリ(段落)」の役割は?

 

どんな意図で、

その文や、その段落をそこに配置しているのか?

 

そういった「文章の構造」ってやつを

読めると、

「文章は単なる文字の集まりではなく、整理された地図へと変わ」るのさ。

 

普段から段落ごとに役割を意識する癖をつけることです。
「この段落は問題提起。」
「ここは具体例。」
「ここで主人公の心情が変わる。」
「最後は筆者のまとめ。」
こうしたラベルを頭の中で貼りながら読むだけで、文章は単なる文字の集まりではなく、整理された地図へと変わります。

(中略)

時間切れを防ぐ最大の秘訣は、読む速度を上げることではありません。文章を読み終えた瞬間に、「頭の中に地図が残っている状態」を作ることです。その力が身につくと、本文を探し回る時間が激減し、国語は驚くほど時間に余裕が生まれるようになります。