研究者は「AはBである」と言い切るために、膨大な努力を積み重ねている。だからこそ、簡単には断言できない。でも、強い言葉で断言する人の方が信頼されてしまうのが現実。科学への信頼が薄いというのは、本当に悲しいことだよ。
— kzk_tkhs (@kzktkhs111) June 7, 2025
そう。
研究論文を書いても、
たとえそれが査読を通っても、
その内容が「正しい真実」だとはならないんだな。
研究をしている身として、
- これは論文に書かれているから真実だ!
- これは査読の通った論文にあるから真実だ!
- これはあの先生が言ったから真実だ!
はタブー視される。
アホだと思われる。
研究者としての資質を疑われる。
そんだけ、
これはこうだ、と言い切るのが難しいんだよ。
論文にして、
それが査読を通って、
多くの人の目に触れて、
やっとみんなが検証を始めて、
あっ、これ本当っぽいぞ!?
という空気になる。
論文や査読は、
正当性の通過点でしかないのだ。
だから、
論文でも査読が通っていても、
「あの論文だとこう言ってるが、本当か?」
が研究者のスタンス。
これは本当に信じてもいいか?
一度、こうやって検証してみよう。
簡単に実験してみよう。
あれ?
なんか本当っぽい結果が出たな。
じゃあ、
もっとコストをかけて、
ちゃんと検証を・・・
というのが、研究。
正しさを判断する、ってことなんだ。
#論文は真実ではない
#査読があっても
#研究者「正当性を自分で判断」